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翌日。

北東の山岳地帯についた。

様々な測定任務を乗員たちは割り振られ、人員たちが事前の打ち合わせ通りの経路で散らばる。躯は煙鬼と孤光を岩山のふもとに案内した。

「だいたいこのポイントだ。パトロールにくるとたいてい人間が落ちてる。…今日はいないか。でも、どこかでたぶん拾うことになるだろう。

この周辺の岩の形状がある種のグリッドになって人間界と通じると見てるんだが、まだ裏付けは取れない。

落ちてくる人間の住む地域はそのときで様々なのは先日話した通りだ。

どういった条件下でここに人間が落ちてくるかは掴めない。もう少しデータが要ると思う」

「確かに独特な岩の形をしている。自然な形状ではないようにも見える。

意図してこの形にしたような印象だ。ちょっとワシも歩きまわりたいな。行ってくるな、孤光、あんまり無茶するなよ。」

二日酔い気味の孤光と、統制のために定位置に留まることにした躯が図らずもふたりきりになった。

煙管を取り出しながら孤光は口をきく。

「あんたも二日酔い?じゃないね。でもちょっとだるそうだね。昨日、付き合わせすぎたか」

「いや、気づかいなく。室内にいなくて、いいのか」

「うーん、用意してくれた部屋は普通で過ごし良かったけど、やっぱり虫の中いると思うと気分悪くてさ。

悪気はないよ、ごめんね。酔っぱらってる今日は外の空気吸ってたほうが楽だわ」

ここの空気って粒子細かくてすっとするわ。

不思議だよ、空気のいい場所では無性に煙草を楽しみたくなるもんさ。

「そうか」孤光と2人で取り残された状況に内心張りつめていた躯は拍子抜けする。

自分は孤光を見誤っているかもしれない。

躯は孤光の気ままさを屋外で初めて目にして、ひねくれたところがないのに気づく。

この女は、思ったことが顔つきと言葉にすぐ出てすぐ消えるだけらしい。

いちいち感情が激しいようだが、それがあとをひかない女だ。

2人で岩壁にもたれて曇天をぼんやりと眺めている。孤光の吐き出す紫煙がたなびく。

「ああ、迎え酒したいわあ」

あくびをしながら孤光はつぶやく。

(ほんとうに酒好きなんだな)孤光を横から眺めながら、

自分の体調が月のものが始まる直前のものになっていることをいよいよ意識する。

気がどうしようもなくふさいで、眠い。

男ばかりのなかにいるときは無視できるこの時期独特の体調が

同性の孤光といる今は随分と心身にこたえる気がする。これはある種の甘えかもしれない。

(やはり女といるのは、不都合が生じる)

と腕を組み、足元に目を落としていたら

「あ…あ?ちょっと、落ちてるわよ。人間」

ほんの10m前方の岩間の陰に、女が挟まる形でくの字型に倒れていた。

「えー、さっきまでいなかったよね。すご。ほんとに、な…」

人間に近寄って孤光は驚く。煙管をぶん投げて躯を振り返る。

「ちょっとちょっと躯!産気づいてるよ。」

妊娠女だった。もう今にも生まれそうである。下肢から水が流れていた。

「袋が裂けてきてるね。あんた、出産したこと一回はある?」息も絶え絶えだが、女は首を振って子を産んだことを伝えてくる。

魔界の瘴気にあてられてそれだけでも辛いだろうに、生命力が相当強い人間のようだ。

「そうか。なら少し楽かな。」

寝台に横になりたいでしょう、行こう。ととりあえず百足のなかの寝台に連れて行こうと孤光が女に肩を貸そうとする、「躯、あんたも」と眼で躯を呼び掛けるが、

躯は奇妙な顔をしたままさっき2人でもたれていた岩壁から離れようとしなかった。

(躯、固まってる?)孤光はいぶかしむ。

と、躯の様子に気を取られた孤光の腕をとき、女ははいつくばりながら躯のいる岩壁までやってきた。

岩壁に爪を立てながら何とかたちあがり、身をひるがえして岩壁に上半身を預けた。そうして膝を曲げ、一定の呼吸で力み始めた。

なるほど、と孤光は納得する。重力を使って産むんだね。それにしても、じゃあ下に柔らかい布を敷かないと。

刃物と湯もいるわ。

「躯!ほら、ちょっとあんた固まってないで私らが産婆にならないと。って、ちょっと?」

ほんとに固まってるの?

「出産の場面は見たくない、頼む。」

「はあ?躯。あんた」馬鹿言ってんじゃないよ、と躯の勝手を責めようと孤光は躯の切羽詰まったようすに言葉を切る。

「立ちくらみがしただけで、悪い血が流れ始めただけなんだが、立ち会うのは無理そうだ」

「悪い血って、あんた。それ生理でしょ。ちょっと何年生きてんのよ初めての生理でもないでしょーに。」

しかし確かに目の前の躯はどんどん顔から血の気が引いていく。これは異様だった。ただの重い生理痛ではないのは明らかだ。

躯が目だけで訴えてくるものはよくわからないが必死なものがあったので、産気づいている女も気になるが、

孤光はとっさにこの娘をまもってやらなきゃ、という気にさせられた。

「わかった。じゃあ、哉無と煙鬼を呼びよせな。そしたらぶっ倒れていいから」