躯が煙鬼の館を訪ねた数日後、煙鬼が北層の検分にさいして百足に同乗したいと通信してきた。
「じっさいに見ておくこともだいじだろう。」
「そうか?そうなら百足にいつでも乗り込めばいい。ああ、この進路で館でピックアップしよう。」
「孤光と2人だけで行くから、気遣いはなく」
通信を終えて、躯はしばらく考え込む。
「気遣いはなくといってもいちおう要人だろうが。」軍国以後の乗員の手前、あまり昔の流儀でかんたんに迎えいれるのはそぐわない。
おれも政治家の素質はないが、煙鬼の奴もたいがいだ。
それよりも。孤光が来ることに予想以上に抵抗を感じている自分を意識していた。とにかく気がふさぐ。
外の者と建設的な会話をするのが面倒になるくらい体中に熱がこもっていた。ふくらはぎがしつこく痛む。補聴器の留め具に頭が締め付けられて血が波打っているのがわかる。
月の周期のせいだろうと躯は自覚して、用心をする。衝動的にならないように。
さて、こうした外交接待は昔中央層の政治家のところで仕えていたやつに丸投げにするにかぎる。躯は哉無の居室を訪れた。
「休み所を提供すればいいくらいで特別なもてなしをする必要はないが、来た夜の、飯に酒くらいはな。少し考えよう。細君の孤光もくる。初日はかんたんにパトロールの奴らとも顔合わせして軽食だ。
その後、お前の部屋で数人で食事をもてなしながら俺は軽く晩酌をしよう。お前が接待役を務めてくれないか。」
「食事はもちろんですが、とくに酒類を増やすことに心を砕いた方が、孤光殿は喜ばれるのではないでしょうかね」
「そういえば、酒好きだったな。」
いつかのときにひょうたん樽を片手に値踏みする目でにらまれたことをを思い出す。あの臭いはたぶん、白酒だろうが。
躯は覇気のない顔つきで哉無に尋ねる。「何を好むか聞いたほうがいいか」
「きっと白酒ですよ」躯の考えを読みとったように哉無は答える。
「彼女たちは飲むのも好きだが同時にうまい食事も楽しみたい手合いの酒飲みでしょう。躯様はじめとするここの連中の不健康な酒の飲み方とは違いますでしょうね」
もっとも、飲んで食べるとなおさら太り、神経も鈍りますがね。楽しむときはそれくらい鈍ったほうがいいんです。
「楽しい宴じゃありませんか。浮かない顔をしないほうがさとられませんよ。・・・楽しい宴になります、頭領。食事の指図もさせていただきますから」安心しておいでなさい、とでもいうような顔で哉無は続けた。
「苦手な女性を相手にするので気がふさいでおられるのでしょう」
哉無はほほえみを浮かべながら躯をみた。
「あなたさまらしくもない、まったく弱気な顔つきで、敵につけ込まれますよ」
優しげな顔つきのまま、哉無はいう。いたわりのようだがこれが哉無が頭領を心理的にいたぶりたいときのやり方だった。哉無も頭領に、ゆがんだ情念を持っている。
もちろん敬愛して、中央層の政治家より大人としての魅力を感じたから仕えてきたが、この頭領の不安定さを支えるかわりに、どうしても二人だけの時に、そこをしつこく教えていじめてやりたくなる。
宦官特有の執拗さだ。
「敵って現在、いったい誰を指す?答えてみろ、哉無」
瞬間に躯の目が表情も憔悴も表わさない権力者の目に変わる。哉無はつい頭領をからかいすぎたことに気づく。気弱になってるといってつつきすぎた己の愚に冷や汗をかく。
「接待はお前任せだ」
それだけ言って躯は哉無の場所からきびすを返した。
哉無は声も出さずにひれ伏し、躯が去ってもしばらく姿勢を崩すことはなかった。