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「またあの埃っぽい山元に行かなきゃいけねえのか」

「しょうがねえだろ、あそこがどうもいま一番人間が落ちてくる地帯だ。到着したら、俺らそうとう歩かされるぜ、ああ、今立ってる体力だって惜しい。黄泉さんの都市で遊び狂ったあとだからな。寝てねえよ」

「お、お前さっきまで黄泉さんとこに遣わされてたんだったな」

「データを貰いにな。それから歓楽街のようすを見てこいってのが躯さんの指令だったからたっぷり楽しんできたさ。」

おお。それは。うらやましすぎるぞ。何で秘密にしてた。

輪の中で次々と羨望の声があがる。ひとりが大げさにため息をついて

「黄泉の元の方が遊べて楽だったかもな。半分死体みたいな、あのいい女を拝むくらいしかここは楽しみがねえから逆にたまるぜ。なあ。」

躯のもとに来て日の浅い奴らは、彼女のことをみくびってそんなことを言い合ってくつくつと笑う。知らないとは恐ろしいことである。

「煙鬼の用件てのはだいたい今は細かい地理条件の調査依頼だよな。」

百足の物見台で、見張り当番たちはだらだらと話を続ける。ここは穏やかな地帯で、次の懸案地域へ向かう途中ということもあってなんとなく間延びした雰囲気で時間が過ぎてゆく。

「だから躯が呼ばれてんだろ。これから3年たってまた統治者を決めるって話だが、どう転ぶかわからねえ。ただ、人間界との往来が公になって、こっちにもあちこち歪みがおきてるからなあ。それを把握しないとまずいと考えて俺たちを動かしてんのさ。パトロールと言うより、本当は調査団だな、俺たちはいまのところ」

「はいそのとおり。」

ぎょっとして当番たちは振り向く。気配も出さずにやってきた躯が無表情で立っていた。静かに当番たちに近寄り、口数のいちばん多かった奴の頬をぺちぺちとたたきながら言う。

「役割をよく把握していることで結構なことだ、お前。これからももさくさく言われたこと調べていけ。わかってるなら漫然とパトロールするなよ。感覚を研ぎすまして俺に報告に来るんだな」

そうやって部下に気合いを入れる。頬をたたかれた部下はへどもどして、

「承知しました」

と言葉を返すのがやっとだった。

「お前等、さがっていいぞ。俺がしばらくここに立つ。」

そして物見台の脇であさっての方を向いている飛影には

「飛影、お前は残れ。話がある」

と命じる。飛影が初めて躯のほうをみ、飛影以外の当番たちはたちまち蜘蛛を散らすように下がっていく。

躯は呼び止めておいた飛影にかまわず物見台の突端に立ち、目をつむった。さっき、煙鬼邸でひっかぶった孤光の視線を洗い流したかった。頭が混乱している。どうしてあれしきのことで。躯は憔悴を持て余しながら考える。これから北層に近い場所に行くからか?

(昔に、ああいうのが、いた)

戦っているときと私生活のたたずまいは違う。だから気づかなかった。しかし孤光はすごく「女」だ。自分の男を穫られないように女に敵意を向ける女。

俺をかわいがってくれて、裏切ってくれた女に似ている。俺のなかにはあの女の面影がまだ残っていたのか。頭が痛い。眠くなる。

飛影のほうから口をきいた。

「話とは?」

「うん、話はとくにない」

ぶつっと躯と飛影の会話は途切れる。

ないのか。この会話は躯のパターンなので飛影は文句も言わず黙って横に並んだ。

「魔界にもいろんな景観がある。」

躯が目を細めている。

「ここみたいな、風通しのよいところが好きなんだ。」

自分が風を通さない暗い館で生まれ落ちたためかもしれない。躯は北層の閉じこめられたような氷雪地帯を思い出しながら考える。顔面に痙攣が走る。北層のことを考えるときはいつも虫酸が走った。痴皇を百足のなかで殺しても、この癖は残ったままだ。

「だから東南層に拠点を置いてたのか。」

しばらくたってから飛影が聞く。

「そうだ。」

躯はうべなう。

「東南は風の領域だからな。」

衣服がはためいて、ゴールデンべリルのような細い短髪もなびいた。確かに風のような女だと思う。躯が体をしならせて欠伸をした。風にはためいた布の中にある女の形を盗み見る。胸から腰、肩から腕へ、すべて丘陵地帯のようなラインだ。抱きかかえればすり抜けそうな仕草をするこいつは確かに風っぽい女だと思う。

でも、と飛影はひとりごちる。

こいつの居室は暗くて風を通さないんだ。

そこで躯が濡れることがオレにとって心地いいことだ。そう思いつくとにわかに暴力的な性欲を隣にいる女に感じた。こいつを風にさらさせてなんか置くものか、どこまでも湿った中に閉じこめてやりたい。くわえさせたい。

「なんだ?」

とおもむろに躯は飛影をのぞきこんで言った。

「俺の部屋に行こうか」

ぐっ、と飛影は言葉に詰まってうめいた。らしくもなく後ろめたさを覚える。やはり見透かされているのだ、こいつには。

「ほら、戻るぞ」

さっさと物見台から降りた躯が振り返って笑った。