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居室にいる躯はトランプカードを切っていた。

一人遊びが好きな女だと、躯のそばに立って飛影は思う。物騒な顔をしていることの多い女だが、こんなふうに無心に遊んでいるときは妙にかまいたくなる顔をしている。

「どうした」並べていたカードから目だけ上げて躯は用件を聞く。

「煙鬼から連絡が入っているらしい。」

と、とたんに躯は機嫌の悪そうな顔になり、その表情の変わりようをちょっとおもしろく思って飛影は眺めた。

この女がかわいくてならない。顔には出さないが、飛影は内心ではそう思っている。

躯のむっとした顔の理由は、煙鬼の面倒にではなく、今日のゲンの悪さにあるのだが。

キャンフィールド、風車・・・時計台でさえ、いずれも今日は成功に至らない。

乗らない日だ。

こういう日は、いろいろなことを決めない方がよい。

煙鬼からなにか持ちかけられても、かわしておく。

と、躯は決めてデッキをまとめた。

立ち上がる。気の乗らない、のろのろとした動きで扉を出ていく。

それを見送った飛影は彼女の奥の間をぐるっと見回して狭い寝台に身を横たえた。

大樹の枝で眠ることを好んでいた自分と、百足の誰にも犯されない場所にあってもこのストイックな寝台に眠るあの女は、同類の気配がする。

こいつの匂いは心地よい。固い躯の寝台の上で、飛影はめずらしく全身を弛緩させて眠りにつく。

 

 

煙鬼との通信をすませ、居室に戻ってきた躯は

室内と、寝台に横たわって睡眠をとっている飛影を眺め、

――以前はよく眠れなかった。

だからこんな堅い寝台をあつらえた。

熟睡する人間ならこんなものは作らないだろう――

そんなことを考えた。

飛影はこんな寝台でもよく寝ている。

こいつにはまぶしい思いをさせられることがよくある。

眠ることに心配はないのか。

こいつの精神の強さは、根本に安定感があるからだ。放浪する幼小期を過ごしたにしては珍しい、どこでこの安定感を獲得したのだろう。それは、やはりユウスケたちとの出会いだろう。ほんとうに、こういうとき、やはりちょっとユウスケがうらやましい。

躯は取りとめもなくなっている思考をあえて野放しにする。それが今の自分の混乱を最低限にとどめるのに効果的なのを経験上知っているからだ。

のろのろと煙鬼の屋敷へ行くために着替える。あそこには煙鬼の細君、孤光がいる。ひどい根性の女には見えないのだが、あの女と対面すると、体がこわばるのがわかる。

俺は北層の痴皇の館を出てから、女をそばに置いたことがほとんどない。

女に、男には感じない恐怖心を感じるからだ。それは自覚している。幼児だった、痴皇の館にいたころ、女の股ぐらに顔をつっこむことを要求されたとき、唯一恐怖があった。どんな痴皇の要求、挑発にも、幼い俺は嘲り笑いで従って「やった」のに。女だけは…。

躯は不意に目の前が暗くなり、吐き気をもよおすが、なんとか自我を立て直す。飛影の首にかかっている氷泪石にじっと目を凝らす。氷泪石の謂われはよく知っている。この石を手にして、飛影と親しくなってのち、自分の過去について、以前とはあきらかに違う側面から思いを馳せるようになった。激しい怒りに身を任せて忘我の境地にいたることが少なくなったかわり、胆汁を飲んだような重苦しい憂鬱と心もとない気分がいつまでも躯にまとわりついて離れない。たぶん、周囲にはそれほど悟られてはいないはずだが。

痴皇と対面して、あの「父親」をまっぷたつにした頃からだろうか。飛影のバースデイプレゼントは俺にしか処理できない苦痛の重みをはっきりと目の前に差し出してくれるものだった。こいつは、随分と厳しい男だと思う。

(苦しい作業だよ)

内心でそんなことをつぶやいて、躯は着替えを終える。飛影の眠り姿を一瞥して、一人で煙鬼の屋敷に向かった。