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躯は顔に険をやどして昔のことを思い出す。女の記憶をたどってみる。夢のリアリティはまだとけない。あの女のこと。母だと教えられた人間の女ではなく、俺を執拗にかわいがっていたぶっていた女のことを。

 

 

「この布地、きれいでしょう、あんたと同じ目の色、極上の深緑。きっとあんたに似合うと思うのよ、私にも」

ノックもしないで私の部屋に入ってきて寝台に腰掛けてきた。椅子に座っていた私を招き寄せる。近寄ると、手にしてきたその布で私をぐるぐる巻きにして抱き込まれた。

「ねえ、これでふたりで服をあつらえよう。行商にわざわざ探させてやっと手に入れたんだから」

私はこれでスリットドレス、シンプルに体の線を強調するわ、裏地は深紅にして、刺繍を散らしてみようかな。あんたはドレープをたくさんきかせて、サイドに艶のある黒繻子をあしらったりしたりね。裏地は純白。同じ素材で柔らかいバレエシューズみたいな靴もね。生成の糸の刺繍リボンであんたの可愛い足に巻き付ける。髪はそうね、わざと洗い晒しにしてみる?手入れ途中のお人形みたいで、そそるわ。

女が待ちこがれていた布地を手に入れた喜びで興奮しているのが膚の熱さから伝わってくる。服って、もちろんお父様のところにひさがれるときのためのものだ。私はうれしくもないけど、女のひとに撫でられるとき、お父様のねとっとした感触と違うことにすごくうっとりするのは確かだ。とくにこの女からはいい香りがするものが出てくるときがあって、私の心に入り込む。

私の日々は毎日お父様に呼びつけられていたというわけでもなく、自由な時間ももちろんあった。そのときに同じように時間を持て余した侍り者の豊満な女がよくわたしのところに来て遊んだ。

私は、薄く研磨された貴石が刷り込まれた装飾の美しいカードや、ボードゲーム、家具調度類の素材、たとえばクッションやシーツといった布の感触、杯のガラスの冷たさとか、そういうものをじっくり味わっていれば充分に一日はくれた。書籍は求めても与えられなかった。たぶん、よけいな知恵をつけさせないためだとわかっていた。お父様の間ではつねに侍り者の気配とよどんだ空気に満ちていたから、一人でいられるときは他の気配に邪魔されていたくなかったけれど、この瓢牝(ひょうめ)と呼ばれる女は妙に拒否できずにいた。

私の髪の毛、生まれて何年もたってないからまだ弱い粘膜に皮膚や骨の感触が好きだったようだ。瓢牝は私をよく撫で回してまさぐっていたから。

「昔産み落とした子供たちがいて、たぶんあんたくらいなのよ今頃は」

とささやく。

「瓢牝の子供たちはどこに行ったの」

聞いてほしそうだから私は尋ねてあげる。

「ここにくる前に、盗られてしまったの。

今でも、ひとり寝の明け方は、毛布を抱きしめて泣き叫んでる自分で目が覚めるわ。それで、」

と、私の髪をなで、唇をなぞって大きな胸の谷間に私の体全部を閉じこめようとする。私も成熟したら、こんなに大きな胸を持つのだろうか。

私は自分と同じ境遇にある侍り者に興味を持つことはないけれど、瓢牝に気を惹かれるときがある。恐い、という意味でひかれているようだ。慕う、という言葉ではないと思う。

 

慕うというなら、私は思い返す。私の傷を冷ましてくれて、卵のように静かに抱いてくれた最近見かける世話女のひとりだ。あの人はまた最近見かけないけれど。侍り者に移ったわけでもないようだし。どうしているだろう。

と、瓢雌は私の注意を引くように、遠い目をした顔を作りため息をついた。

「女ってね、ほんとうに子どもがすべてなのよ。」

「私にはお父様がいるだけだけど」

大した考えもなく答えてしまうが、いま自分が瓢牝の何かにふれる余計な言葉を差し挟んだことに気づく。この瓢牝の気配はすべすべして心地よく感じるのだけれど、じつはしだいにこちらを疲れさせるものがある。疲れているから不用意な一言を挟んでしまうのだ。

なにが不用意かはわからないけれど、自分に不利なことを口走ったことを瓢牝の眉の下がり方で感じ取る。 

「あんたの生まれ方はね・・・考えてみれば可哀想よね」

そうして奇妙なゆがみかたで瓢牝はふと口をつぐんだので私もそれ以上聞かない。瓢牝の話にあまり興味はなかったし、なにか自分に不利らしい話題を進んで広げることはない。

 

 

あのゲームの最中、私を犯しているときに瓢牝は教えてくれた。

「あんたはあの世話女、人間の腹から産まれてるけど、あの女に腹を痛めた自覚はないの。だって精神壊してから生ませてるんだもの。

痴皇さまは北東に落ちてたあの女を、あれはいいところの血筋だなんて言って、売りにもかけずに鼻の下伸ばしてさ、側に置いて女がこわれるまでいじめ抜いてたね。

張り合いが無くなったから、あの女の卵を畑にこっちの種族の遺伝子も取り入れて絶妙のバランスであんたは作られた。よっぽどあの人間の形がお好みだったんだろうね。」

フン、とつまらなさそうに鼻を鳴らして瓢牝は私の耳裏に口を寄せる。

「最近世話係として私達のまわりを歩いてた時には連れてこられた頃の輝きは見る影もなかったけど、今日のために、あんたの目をいちおうあの女に引きよせておくために痴皇様はあの女を外に出したんだろうさ、世話係として。楽しみ事には時間をかけるかただね、あんたのお父様は。かわいい娘がけなげにもどう切り返してくるか見たくてうずうずしてたんだろ。みてごらん、今もあんなにおっ立てて。こっちを眺めて一人で楽しんでなさるから、盛り上げてさし上げなくちゃ。」

ほら、しゃぶってよ、と私に熟れただらしない乳首ののっかった片乳を押しつける。

「…あんたは可哀想にね。産まれながらに愛玩物。私みたいな流れの奴隷以下じゃない。名前も付けられないで「むすめ」って呼ばれてさ。近親相姦ごっこのために作られたんだものねえ。」

私の頬とクリトリスを鋭くつねり上げた。

「愛玩されるしか役がないからかしら?こんなに可愛いのは。ほんとうに憎らしい。私には無愛想なくせに、抜け殻になってた状態のあの女でも、下働き風情にあんたはなぜかきちんと甘えてた。私以外にも、痴皇様以外にはいつだってどこ吹く風だったあんたがさ。

見てたのよ、私は。うれしそうに抱っこされてたわよねえ」

瓢牝の重いぬるりとした体の下で、私はかっとして瓢牝をつき飛ばそうとした。見られてたんだ。瓢牝はにやにやとして、微動だにしない。

「あのいかれちゃった下働きでも、やっぱりお母さんだって気づいてたわけ?気づかないよねえ。お母さんってなにかあんたにはわからないんだから。気づいてたら、まさか自分が生まれてきたところ、食べちゃったりしないもんねえ。許さないよ。こんなにかわいがってあげてるのに、他に甘えたあんたを」

瓢牝のため息が熱く粘る。眉間にしわがきつく寄って、目が甘く垂れ下がる。瓢牝のこめかみの角がいつもよりにょっきりと、とがっている。私を威嚇する。

瓢牝に罵倒された屈辱と世話してくれた「お母様」への気持を言い当てられた屈辱で熱くなった私は、瓢牝に口をふさがれて声を出せない分、強烈に思った。

女は、恐い。優しいようなようすで取り込もうとして、実はすごく横暴だ。独りよがりでぬるぬるして、自分のずるさに振り回されている。

「お母様」と自分の関係を知ったことよりも、私をなめ尽くす瓢牝に衝撃を受けた。この女は勝手な女だけど、私の感情に踏み込んでくることはなかった。ただの侍り者のひとりだって見くびっていたのかもしれない。

その女が私のほんとうのことの一端を知っていて、私を的確に動揺させた。

ほんとうに食べられてしまいそうになることに、瓢牝を殺したい癇癪と同時にものすごい量の快楽がやってきた。

気持ちも体も同時の、初めての快楽だった。体が自分の意思に反してのたうった。

瓢牝も吐息をもらして私に感応したようにのけぞった。ふと気付くと、お父様が満面の笑みで折り重なる私と瓢牝に向けて射精するのが見えた。

「お母様」をほふったゲームの後から、お父様と私の毎日にまたひとつルールが加わった。「お母様」の存在だ。

私はなにを命じられても動じない、ふそんな娘、というのを求められているのを知っているから。内心ではすごく怒っていて体の中はいつも熱いけれど、冷静に動じない態度でいつも鼻で笑って従ってやる。

でも、「ごめんなさい」という気持で私はなおさらお父様の気持ち悪い下品な責め方に、なおさらぞくぞくくるようになってしまった。「お母様、ごめんなさい」

お父様は私の内心のつぶやきをお見通しのように鼻で笑った。「お前はいつも冷たい顔をしているけどな、お父様はお前が怒ったり恥ずかしがったり傷ついていることを、すべてお見通しなんだよ」

さあ、お父様の目の前にたってごらん、と命令された。割れ目をひろげてご覧。ああ、いいねえ。こどものくせに使い込まれてるねえ、でもこうなってるのもすべて、お母様の代わりだよ。お前は悪くないよ。

あとで二人で、お母様の眠る高原にお散歩に行こうねえ。2人でお母様に謝りに行こう。そう言ったあとにお父様は苦しそうに体を少し浮かせて私にぶちまけた。

みじめな気分なのにすごく気持いい。何をお父様に仕掛けられたんだろう。

 

 

「罪悪感、だ」

目を開けて今の俺が答える。遠い幼時の光景が遠のいて、かつての部下の死体が堆積するコロキアムが広がる。これが今の現実。足に力を入れて意識を踏みとどまらせる。

このコロキアムのなかで、「かなわないなら、殺してほしい」と俺に懇願してきた部下も少なからずいた。俺にあからさまな性欲を向けてくる奴はいつだってかならず殺してきた。だから利害一致というわけで、このなかでも、気に入った野郎であっても望み通りいつでも瞬殺してやったわけだ。

後年になって俺の性欲はだいたい常に罪悪感と裏表になっていると気づいたときから。

「お父様」はやっかいなものを仕掛けてくれた。とわかってやはりよけいに腹が立った。身体を損ねても、館を出て正解だったとあのときの自分の選択をなおさら正しいものとして清々しく思った。そして痴皇を殺してやろう、と思いつく。

それでもその次の瞬間に必ず、父親に慈しまれていたんだという、記憶が蘇ってきて、どうしてもあいつを殺しに行くことができなかった。去勢されたように力が萎えた。

 

飛影の教えてくれたことには俺を思いとどまらせた愛しい、帰りたい記憶の数々は「偽り」だったということになる。そしてそれを知って俺は初めて「お父様」を殺すことができた。それでも、捏造されたものであっても、ないよりはよかったと思ってしまうのだ、今でも。お父様に肩車された高原での散歩のひととき。優しい瞳。

…事実を知ってよかったが。もちろん。

 

飛影が切りつけた聖母像から躯は腰を上げ、コロキアムを出る。どこに行っても自分が処理するしかない重みに堪えられないときがある。どこに行ってもそれは付きまとってくる。

痴皇の館は今はもうない。飛影が焼き尽くしてしまった。奴隷商人としてそれなりの力をもっていた痴皇が何者かによって館ごと抹殺されたのは、風のうわさでほうぼうにわたった。誰が消滅させたか、その焼き跡でわかる者にはわかる。なぜ焼き討ちしたかはわからない。意味もない焼き討ちというのはよくあるものだったからほとんどの者は気にも留めていないだろう。

「最近の痴皇は長年にわたる酒色と職権濫用で往年の商才はみせなくなっていたってよ。隠居身分だったんじゃないか。くらしぶりは、どれだけうわさになっても漏らさないようにしてたみたいだしな。殺した奴を報復しようというほど縁のある取引先も今ではいないんだろう」

「人間界の綺麗どころを拾ってくるのがうまかったんだよ。お前ぐらいの生まれだと知らないだろうがな。もしかしなくても、きっと今俺たちが調べてる北東のあのポイントを痴皇商人は掴んでたんだろうぜ」

痴皇の館焼き討ちの話が伝わってきたとき、うわさ好きな百足内奴らでさえこの程度のやり取り以上に焼き討ちの背景を詮索しなかった。