噂の眞相

無責任にしゃべり続けるひとたち

「うちの部屋からみえる桜、来週初めが見ごろだよ。ひまだったら花見においで」

静流が雪菜に電話をかけた。

「桜を?ええ、ええ、見に行きます。ほかの方を誘ってお邪魔してもいいですか?」

雪菜の声がはずむ。

「いいよ。うちはスペースだけはあるからね。むさ苦しいのを除けば10人くらいは座れるから、来週火曜日に来れる子は呼んでおいで」

「むさ苦しいの」それは弟を連れてくるなという意味だったが雪菜にそれは通じない。

 火曜の15時、「チワーッス」という幽助の大声がした。「インターホンを使いな」とドアを開けた静流は、賑々しい6人のなかにむさ苦しい弟が混ざっているのを確認した。

「和真。お前は呼んでないよ」桑原は姉にひるむことなく誇らしげに雪菜の隣に立って

「雪菜さんの外出をお供しないわけにはいかないだろ。ね?雪菜さん」という。ぬけぬけと、と静流が言う間に雪菜も小首をかしげて「桑原さん、ありがとう。静流さんあのね。10人くらいっておっしゃったから桑原さんも大丈夫かなって」といった。

「このメンバーなら桑原君いないとなんかおちつかないもの、静流さん」と蛍子も不機嫌な静流にとりなすように言う。エントランスでぐずついても近所迷惑だ。静流は5人には「どうぞ」と部屋に招き入れ、最後に敷居をまたぐ弟には顎をしゃくって命令した。「来たからにはきりきり働け」。

部屋の窓は広い。舗道に植わった満開の桜を一望できるように設計された部屋だ。1LDKのリビングには大きなテーブル以外ほとんど何も置いていなかった。

「殺風景な部屋だなあ姉貴」と桑原が言うと、頭をはたいて「早くつまみの用意するんだよ」とキッチンのほうへ静流は弟を蹴飛ばす。

「相変わらずですね」「おお。桑原家のコントを見てると和むな」

蔵馬と幽助は来るだろうと思っていた。静流が意外なのは飛影も来たことだ。

「飛影君。遠いところ、わざわざよく来てくれたね。ありがとう。忙しいんだろう?」

静流は飛影に後ろから声をかける。飛影は宴の準備にとりかかる皆に混じらず窓の外の桜を見ていた。静流が彼のコートを受け取ろうとしたら、そこからひらりと一升瓶が出て差し出された。

「心ばかりで申し訳ない。あっちの酒が口にあうかわからないが。お招きいただきありがとう」

 無礼なほど寡黙だった飛影が人並みの挨拶をした。静流は雪菜を見た。雪菜が若い娘から大人の容姿を備えてきたように、飛影の姿も青年にほとんど近づいている。世慣れてきたか。静流はありがたく酒を受け取った。

 花見で集まって話すのは、近況や共通の知人についての噂話だ。

「今、あの三人娘、桑原家で暮らしてるんだろ。芸能プロの合宿所みたいだな。お前の親父の見た目も、なんか、ソレっぽいし。いかにもな見た目だろ」

「小兎さん瑠架さん樹里さんが集まっていると華やかで楽しいですよ。「季節限定コスメ」をよくいただきます。入れ物が素敵です」

「雪菜ちゃんはまだ化粧は必要ないね。もったいないよ」

「そうですよ!」めずらしく桑原姉弟の意見が一致した。

「姉貴は芸能プロの合宿所みたいになったのがめんどくさくて部屋借りたんだろ」

「違うよ」「じゃあ男だな?」 「和真。しばくよ」

 

「きれいねえ」

蛍子と雪菜が腰を上げて窓越しの桜にみとれる。静流は二人に声をかける。

「二人とも、そこでちょっと毛先ととのえようか。待ってて」静流は椅子と用具を用意する。毛先を切ることで、溜まった水毒を抜いてあげようと思いついたのだ。桜の花を観賞しながら散髪することは、女性にはとりわけ強い浄化作用をもたらす「祓い」だ。

 静流は美容師として働き始めてから、「通常見えない何か」に対処するより、人間の髪を触り続けるほうが自分の神経が摩耗されることに気付いた。美容師を続けるには、ひとの穢れをとるひとりの場所が必要で、この部屋をみつけた。静流が実家をでた真相だ。

 

 女たちは窓際へ集まり、床に座った男たちは桜も眺めず思い思いに飲み食いした。噂話を続ける。

「あの奇淋てさ。魔道本家っていうけど、それなんなの?そんな流派とか一族の話聞いたことねえし」

「魔道本家は随分昔に途絶えたとされる魔道士の宗家です。もう忘れられかけていることですが、魔道本家の役割は魔界にとってかつて重要だった。

 中央層、腐野って言われるほうが多いですね。あの魔界のコアにあたるエリアがいろんな意味で最も魔界らしく不安定な気候風土の危険地帯でしょう。魔道本家は腐野の乱れを最低限に抑える結界を張る役目を負った家なんです。奇淋はそこの嫡男と一部で最近噂されるようになっていますが、これが事実なら、奇淋は生きてるので血は途絶えていない。だから本人は魔道本家を名乗り続けているのかもね」

「今の奇淋の印象からは思いつかないんだけれど、いよいよ跡を継ぐというとき、彼はなんと失踪したらしい。婚姻の前の独身最後の一人旅に出たきり戻らなかったということです。魔道本家は一子相伝が掟でしたからね。総領息子の行方不明で世間的に魔道本家はお家断絶となったわけです。一族は奇淋以外残っていないんでしょう、おそらく。魔道本家がかつてあったということがこんなに長く忘れられていたということは」

「彼は魔道本家嫡男の立場を放棄して躯の傘下に入っていた。いつごろのことなのかまでは特定できませんが。魔道本家の存在が忘れられた後、奇淋は躯の直属戦士として世間に名前が出てくるようになったみたいですね。」

「幽助が奇淋の名に疑問を持つのはしごくまっとうですよ。オレもだけど、どうして誰も今までそこにつっこんでみなかったんだろう」

「オレはあれはリングネームだと思ってたぜ。躯のとこの奴らって変なの多いし。美しい魔闘家鈴木的なもんかと」笑いが起きた。

「ていうかなんでみんな本人に聞かないんだ」

「聞いても答えないだろう。そんな奴だ」

「ついでに言うと、魔道本家のおこなっていた結界張りの代わりに、躯が百足を結界となるような進路で走らせて腐野の乱れを抑えるよう試みていたといわれています。なんて、事実らしく語りましたが今までの話は全部最近のジャンク雑誌に載っていた噂の真相っていう連載記事に書いてあったことなんだ。

 雇われ記者の適当な推測でしょうけど、当たってないとも言えないんじゃないかな。

あの連載はけっこうおもしろい、昔の魔界の歴史を掘り起こす内容が多くて。記事の質にばらつきがあるのが残念だけど、まあゴシップ記事だしね。うわしん、今度持ってきましょうか?飛影、君は読んでないの?」

飛影が答える前に髪を整えてもらった雪菜が振り返ってうっとりと

「躯さんは、では奇淋さんのファムファタールなんですね。素敵」

と唐突に男たちの噂話に入ってきた。「ファムファタール」という言葉を最近TVドラマで覚えた雪菜は、この言葉をいちど使ってみたかったのだ。

「雪菜ちゃん違うよ。ファムファタールってのはエロくてさ、男がころっといっちゃうようないい女のことだよ。」

そう言って笑う幽助に、静流に毛先を揃えてもらっている蛍子が訂正する。

「ばかね。男が色気で身を持ち崩すのはプラスアルファでしょ。雪菜ちゃんにへんな教え方しないでよ。ファムファタールって、本来は「その男性の運命を変える女性」なのよ、雪菜ちゃん。幽助のバカ解説は忘れてね」

「「その男を破滅させる」女性という意味でもありますね、ファムファタール」

蔵馬が螢子の説明に補足した。

「なんだよ。女で運命が変わったり破滅したりするんじゃ、結局イロがらみに決まってらあ。なあ桑原」

「幽助」どすの利いた蛍子の一言でファムファタールの定義の話は打ち切られた。

 

男たちの噂話は続く。

「奇淋はさ、躯んとこにいて闘いが面白くなって入り浸ってたらこんなに時間が経ってたよってだけなんじゃねえのかなあ。躯軍ってそういう集まりだったんだろ。国っていうよりも軍隊とか山賊みたいな集団だったって雷禅から聞いたぞ。俺、雷禅がいなかったら、躯の所で鍛えてもらってもよかったな。うん、飛影の強くなりっぷりをみたとき俺はそう思ったね。だって百足の中の教練場ってすごいんだべ?床が死体のくさったのでいっぱい…」

「食事中にえげつない。おやめ」振り返りもしないでぴしゃりと静流が遮る。

 今まで噂話にほとんど口を挟んでこなかった飛影はおもむろに奈良漬を箸でつまんで言った。

「そうだな。これくらいの顔色の奴ばっかり漬かって腐ってるぜ。百足の中は」

「飛影君。その奈良漬、わざわざ取り寄せてる私の好物なんだよ。気持ち悪いたとえに使わないでくれない?」

「じゃあさじゃあさ。奇淋が女に子供を産ませれば魔道本家が復活するわけじゃん」

「およそパートナーがいるようには見えませんけどねえ。以前調べたけど、外に女を作っている話もなかったし。所用以外は百足の中にいる出不精ということも情報で入ってました。女の人のことは、今のパトロール編成に組み込まれた暮らしではなおさら縁遠くなりますよね」

「奇淋てゲイ?それとも爬虫類系指向?」「ねえ、奇淋てどうなんですか。飛影」

 桜を見ながら奈良漬をつまんでいた飛影は噂話が下世話にヒートする彼らに顔を向けた。ゆっくり奈良漬を飲み込んでから、「知るか」と蔵馬の問いを不愛想に切り捨てた。

 

「飛影君がきたのは意外だったな」

 蔵馬に片付けのすべてを任せて静流は言った。夜も更け、宴もおひらきとなり客はそれぞれ帰って行った。

「雪菜さんのお伴」と言って、さっさと帰った桑原のかわりに蔵馬は「片付けのお手伝いをしましょう」と言ってキッチンでごみの分別をしている。

「ああそれは、たぶん。うん。桜を躯に見せたかったんじゃないかな。さっき、彼がそこの木に登って花泥棒をしていましたよ。静流さん、ここから見えませんでした?」蔵馬は愉快そうだった。

「あら。おとなびたと思っても相変わらずの職業柄だわ。そういえばさっき奈良漬を分けてほしいといってきたのよ。一個包んで持たせたけど。飛影君そんなに気に入ったのかね、奈良漬」

「静流さん、飛影の上司にあたる例の躯ってひとは、酒豪なんです。

さっきあけた「棲金酒」。あれは結構な値段がついている上に入手が難しいものです。多分躯の好きな銘柄なんでしょうね。あんな気の利いた酒を飛影が選べるとは思えませんから」

蔵馬は笑った。

「あらまあ飛影君、上司に土産もって帰るなんて律儀じゃないか。ねぇ、その躯っていうひとの話はたまに聞くけど。なんだろうね。 飛影君の恋人なの」

食器洗いを始めた蔵馬は手をとめた。

「なんていったらいいんでしょう。飛影も躯も、変わってますからねえ。静流さんも躯を見ればなんとなくわかってくれると思うんですが。

彼らをみると、お互いに対になるならこの組み合わせしかないだろうという感じがする。組み合わせの変更がきかないかんじ、といったら伝わりますか。

でも、それをオレたちが言うところの恋人といっていいのか。

なんせ今は以前より彼らは上司と部下の関係ですからはた目にはなんとも。

今の飛影が付き合う誰かを探しているようにはみえないし。躯のことはオレにはわからないし。

あの飛影が抜け出しもせずパトロール業務についているのはよっぽど躯のことを気に入っているんだって勝手に思っているだけで、案外周りからは、あのふたりがもしかしたらなんてこと、思われてもないかもしれないですね。

【躯と側近飛影はあやしい】って雑誌の隅っこに書かれたこともありますけど。

ああやって一行記事になると人のうわさも75日みたいになって、逆にガセ情報として世間の興味から外れていく。

でも今、あの飛影が、花泥棒をするくらいに躯を気にかけているのははっきりしましたね。躯はね、人間界の樹木についてわりと詳しいんですよ」

蔵馬はいろいろ語るが、言っていることは飛影と躯は一対にみえるくらい親しいということだ、と静流は聞き流している。

「それならもうじゅうぶん恋人だと思うけどねえ」

静流はコーヒーメーカーのドリッパーにフィルターをセットしながら言う。

「でもね」皿を吹き上げながら蔵馬は返した。

「ロマンティックラブではないんです」

「ロマンティックラブ?」

「ロマンティックラブではない、ねえ」静流は繰り返す。ほかにもいろいろラブはあるだろうと思った。

「でもオレには、あのふたりが親しくなった以上、これからほかの誰かとコンフルエントなありかたで満たされることはないように思えてしまうんですよ」

皿を重ねながら蔵馬は言った。

「コンフルエント?」 

「どういう関係で生き続けるんでしょうね、あのふたりは。

魔界でもね、男女の仲って人間みたいに恋をとおして婚姻して、働いて、子どもを育てて、という安定的な家庭生活を維持して死ぬ、という形で通しきるやり方も多いんです」

「でもあのふたりにはそういう、社会の維持につながる質の情は介在していないように見える。ましてや甘い恋が人生に必要っていう種類の人たちでもないでしょう。まず飛影なんてそんな感じでしょう。ん、どうかな。

でも飛影と躯が替えのきかないふたりだっていうことは、さっきも言ったけど、並んで立っているのを見れば一目瞭然なんです」

蔵馬は食器をおさめた棚の扉をしっかりと閉めた。 

「お互い誰かとの替えがきかないふたりの、ロマンティックラブのようなわかりやすい落ち着き先を用意しない親密さって、どうなっていくのかな。妖怪の生は長いのに」

静流は蔵馬の話を聞きながら、サーバーにコーヒーが落ちて溜まるのを見ていた。

(今日、蔵馬君はよくしゃべるねぇ)

 静流の内心に気づいたのか、言い訳のように蔵馬は付け加えた。 

「喋りすぎましたが、もし自分が替えのきかない関係を人と持ってしまったら、と思うとね。こわいんです。きっと飛影よりオレのほうが臆病なんでしょうね」

そう言ったと同時に蔵馬はすべての片付けを終えた。

 静流は蔵馬とめったに会わないが、今日の彼の様子は弟たちから聞く印象とは違う一般的な年頃の男の子に見えた。他のカップルをみて不安を感じるとは蔵馬君も年頃なんだねぇと思う。

「コーヒーが入ったよ。飲んでいきなよ」

「さっき雪菜ちゃんはさ、その、奇淋だっけ。奇淋にとって躯がファムファタールって言って喜んでいたけど、飛影君の進路の流れを変えたって意味では、躯も彼のファムファタールよねえ」

「それは確かですね」

「わかるのはそれだけってことだ」

 静流は換気ボタンを押し、ガスコンロにもたれて煙草をくわえた。

「私もあとで飲む。ブラックで」

「俺もブラックです」