BRO lost own way meets his SIS who had her own peculiar form.

直属戦士「77番」をめぐる勝負の後

「お前なら全てを見せられる。今度は俺の意識に触れてくれ」

 

……………

 

 飛影。俺の記憶はまだ見えるか。痴皇の館から肥溜に落ちた後の俺だ。

 肥溜の次の記憶は、あれは北層のなかでももっとも荒ぶる北海の洞窟だった。痴皇の邸の肥溜と北海につながっていたのだろう。おそらくそのために海の洞窟に倒れていたのだ。ひどい状況だったが、幸運だったのは洞窟にいたことで、体の腐食の進行を多少なりとも食い止めることができたらしいことだ。

 あそこが、環境の過酷さが生み出したとしか思えぬ、深い青をたたえた洞窟だったことは覚えている。ただそのときは自分がどこにいるのか認識できない状態だった。どこにいるかは問題ではなかった。意識が戻ると絶叫するほど全身が塩辛く、また気を失うためにみずから岩で何度も体を裂いた。意識を保っていることが耐え難い状態が長く続いた。死にたいと思う余裕はなかった。生き延びたいという気丈も失った。あれほどの痛覚は、今もって経験がない。

 ざばざばと、北海の波が絶え間なく寄せては返す。容赦のない音。俺の聴覚がそれを耐えられないという。音をさえぎるために片方だけ残されたてのひらを交互の耳にあてれば、片方の耳はすでになくなっていた。頭から酸を被ったのだから耳を失うことは当然だった。

 青の洞窟に俺はどれくらい気を失いながら潜んでいたのだろう。いつしか季節が緩んできて、食糧あさりにやってきた乞食が俺の体に急場しのぎの治療を施した。 乞食には感謝するべきかもしれないな。乞食は俺を闘犬買いに売った。

 興行主は俺を犬と一緒に闘技場に放り込んだ。俺が犬に勝てば観客は興奮とともに喝采と怒号を浴びせる。幼児のくせにつぎはぎだらけ、欠損だらけのフリークスを見る目で蔑みながら。負ければその闘犬に犯されるのがお決まりの演目だった。観客は穢い幼女が股を広げて犬におっかぶさられるのも面白がっていたが、四つん這いになって積極的に犬の相手をするほうが反応がよかったかな。闘犬場では躯という自分の名は明かさないと決めていた。奴らは「ストレイドッグ」と俺を呼んだ。

 俺はしばらく闘犬場で頃合いが来るのをみはからいつつ過ごした。闘犬のおかげで体力と闘い方の基本、そしていくらか成長した骨格を身に着けた。その頃には興行の組み方など、相談役が務まる程度に興行主と互角に渡り合うようになっていた。

 性交パフォーマンス付きの目玉商品を手放したくない興行主は、いつのまにか俺にへつらう目を使うようになる。くだらなくて俺は闘犬場と興行主の小屋に火を放った。俺を興行主に売りつけた乞食も探し出してあぶり殺した。俺はこの頃過去を焼いて回るのが好きだったんだ。

 

……………

 雇われていた闘犬場が焼けるのを背にして、いよいよ本格的に生き延びる手段を講じなければならなくなったと俺は考えた。後ろ盾はひとりもいない。晒す姿はひと目につく弱みとなる。思うに俺は、似たような境遇の奴らより襲撃される回数は多かったんじゃないか。おい、年寄りの誇張した回顧と思うなよ飛影。ほんとうだったんだぜ。

 ほらな、このなりを面白がって黒蟻のような男の群れが日常的に襲ってくる。一生分の強姦はもう済んだはずだ。俺は腹が立っていた。だからどんな手を使ってでも黒の大群を殲滅することにした。全神経をかけた。実戦に勝る修業はない。あの時期に実感したことだ。俺は闘犬場から出発し、犬と男の大群を相手に闘いの勘と技能を磨いたということになるな。

 やがて東南層にたどり着く頃、俺は厄障者の世界に入ることにきめた。そうだ。飛影。あの頃がちょうどお前くらいの背格好の年だ。お前が盗賊であるように、ガキの流れ者が生き延びるには厄障者になるのが手っ取りばやい身過ぎ世過ぎだった。だから厄障者としての暮らしが性に合っているのかどうかなぞ問題ではなかった。

 じっさい、思い返して俺じしんににあの世界の才があったとは思えねえ。それでも女子供の分際でボンクラ集団の首領格から厄障者の世界の端っこに入りこめた。一度も大勢力の傘下に入らず一本独鈷を張れたのは、まぁ集まった野郎どものバランスに恵まれたからだ。男ばかりで面倒なこともあるにはあったが、闘犬場の連中よりは御しやすいと思えた。野郎どもも初めこそ、俺の奇妙な体に興味を持ったようだが、最終的に手を出す馬鹿はいなかった。いたかもしれないが……。概してやりやすい連中だったよ。

 今から考えても、それなりの強者が集って釣り合いが取れていたために、最初から円滑に独立集団として動き回ることができたのは奴らのおかげだ。俺はその点ツイていた。だがな、痴皇の館を出て、闘犬場で飼われてから以降、東南層に入るまで狂ったように闘い続けた結果、俺にそれだけの力がついていたという自負もあるぜ。 厄障者で世を渡っていくことを考えるころにはすでに周辺では俺の噂が広がっていて、俺を襲ってくる奴はめったに現れなくなっていた。

 怒りとバランスの悪い体つきのおかげで、相手に一筋縄ではいかないと思わせるタイプの闘い方と妖力を身につけていたのはその後の展開を考えても色々と有利に働いた。なにが身を助けるかなんてわからねえから皮肉だよなあ。といつも俺は思っているけどな。今でもな。

 そう、ここまでの道筋はただ侵されることの怒りにあおられて強くなるという、平明な修業時代だった。東南層でも風通しの良い場所に俺が陣を張っていたからだろう。野郎が食糧を持って夜毎律儀に集まってきた。毎晩夜空を眺めて火を焚かせ飲み食いし、闘い狂いの戦況報告に耳を傾けていた。

 しだいに野営に集う人数が増え、そいつらは俺のシノギ道具になった。そのうちただのボンクラ集団とはいえない勢力となり、躯という厄障者の一家として本格的にシノギ始めた。これが躯の軍隊の始まりだ。

 あの頃の連中が、まだ直属の中にいくたりか残っている。野営というのは、若い頃には一時ならば悪くなかった。

 お前もいればよかったのにな。飛影。野蛮な時代だったぜ。

 

……………

 シノギは手さぐりながらも次第に軌道に乗った。その頃から、俺の面を割られては支障が出る可能性も当然ながら出てきた。正体が悟られぬよう体と妖力を隠すために呪符を巻いた。体を外界から覆うには適当な頃合いだった。乞食に急場しのぎで接いでもらった半身をいくらかましな義肢に取り換えるくらいの余裕も、できたていたしな。

 シノギで稼いだ金が莫大な量になって、俺は用心棒をしていた邸を手始めに、シノギ先をすべて焼き払った。そして百足に乗り、いつしか三竦みとして、そうだ。お前の世代じゃおとぎ話の住人になった。

 饒舌すぎたな。なにしろお前よりは過ごした時間が長い。

飛影、そう眉を寄せずに、辛抱しろ。

もう少しで終わる。

 

……………   

 百足に乗り込み、三竦みと呼ばれたはじめたわりに雷禅が表舞台から消えた。

 じつの所、俺はあいつとの、ユウスケの親父との闘いが好きだったんだ。俺の闘いに伍する奴がそう簡単に見つからなくなったなかでで、俺はいつまでも一対一の勝負ではあいつにかなわなかった。どこまでもひとを喰った男でなあ。おい、お前が気に入っているあの息子も雷禅に似ているのか?

 記憶がそれたな。どんどんこの世界で躯軍は影響力を増していった。食人問題に対抗するために軍を引き受けたのは俺だったが、時間が経つにつれて俺の景色は徐々に灰色になっていた。

うん?目が悪くなっていたのかって。……笑っていいか。そういうことじゃねえよ。風景が灰色だった。どんなにけざやかなものを目にしても、酒を飲み碁に熱中しても空虚だった。三竦みの膠着状態に倦んだんだ。俺は、言われているほど忍耐強くはねぇ。 

 

 俺の契機は氷泪石だった。倦み、すさんだ気分で三竦みの均衡が崩れる待ちの日々を送っていた。お前の母が流した涙の結晶が俺のもとに献上品としてやってきたのはそんな頃だったよ。傷は認められたが、極上の氷泪石であることは明らかだった。コレクションに加えようと左掌に収めたとき、この石は俺の空虚の理解者となった。さらに俺のなかにある狂気を赦し宥めた。13層北東で天才の名をほしいままにしたくせに、なぜかその力を捨てて邪眼を入れたガキが氷泪石を探している情報を知った俺は、邪眼に石のありかを気取られぬよう、お前等の母君の涙の結晶を腹に収めた。

 

 飛影、よく意識に刻んでくれ。あるとき、俺のくすんだ視界にお前の鮮やかな赤と黒が斬りこんできた。魔界トーナメントをのぞきに来た俺の目にお前の色はこの上なく鮮やかだった。魔界で死にたがった人間に絡んだ戦いのときにはもう俺はお前を欲しかった。

 飛影、お前だ。お前のことを俺は随分と待った。

 

…………… 

 お前は、雷禅の息子と出会ってから急速に妖力が伸びたようだな。しかしながら、俺が見るに、その伸び方は危うかった。危ういが、捨てばちと紙一重の集中力があり、俺は久しぶりにお前の闘いで美しい火花を見たよ。火花は、その都度消える。お前は、先ほど火花とともに消えて構わないという、自己を滅し、削ぎに削いだ風情を見せたな、時雨の時に。美事だ。

ここで散らすのは惜しい。

俺がお前を死なせなかった理由のひとつは、これだ。

……………

躯はもう一度毅然としたまなざしでポッド越しに飛影を見据える。

「飛影。俺の意識は、お前の意識に触れているか」

 

………………

 飛影が躯の意識にいきなり触れさせられたことに不快を感じていたのは当然だ。

が、触れ合いが続くにつれ、飛影は躯の意識に自らの意識を重ね、知らず躯の饒舌を促していた。彼にとっても、彼女の意識はあらがうなどできないものだった。 飛影は躯の意識の心地よさに眉をしかめて抗おうとした。しかし、

「お前の意識は俺が触れたもののなかで一番心地よい」

躯の言葉は殺し文句だ。

 

…………… 

 母の体の水によく似た粘度の水にオレはチューブを命綱に漬けられている。水から発する気泡はそれ自身意思を持った生命体のように揺らめいて上昇する。それは脛やわき腹や腕を撫でてゆく。オレは目を瞑っているが(このポッドでは目を開けられない)、ポッドの外にいて、オレの真正面に仁王立ちになり凛々しく笑っている女がまぶたの裏にみえた。

 ああ、とオレはごぼりとマスクから息を吐く。気泡が上昇する。化け物め、とコロキアムで何度も畏怖を感じた。こいつが躯だったのか。記憶で見せられたように、半身が干からびているのに今目の前にいるこの女はやけに鮮やかだった。

 左の眼光に強い緑の光を発する女が裸身の丸腰で対峙している。躯はポッド越しであることをまるで意識しないかのように、目の前のオレに向かって何かを語りかけているようだ。

 

……………

 なにを言っているだろう。ポッドの中で飛影はいぶかしく思う。まぶたの裏の視界だけでは読唇術は使えない。話し終えた後、躯は気が済んだのか、笑った。躯の笑顔だ、と飛影は動揺した。魅入られたのだ。飛影のそれに気付いたのか、躯はさらに口角をひきあげ、アーモンド形の眦を優しげに下げた。悪い奴の笑顔だ。

 躯は大股で飛影の使っているポッドに近づき、彼を適切な処置でポッドから引き揚げた。躯は手早くポッドの洗浄輪を回して水を抜いている。水とチューブはゴボゴボと音を立て、すぐに次回の使用に備えた状態となった。

 その間に飛影は自分の分断されていたはずの腕、腹を検分する。さきの闘いの跡をとどめる傷はどこにも残っていなかった。ポッドの処理を終えた躯は、そんな飛影を無心に眺めた。小柄な身長と鋭い少年の体型に似合わぬのまなざしの底知れない闇は修羅場をくぐった証である。

 飛影は自分の体の検分に気が済んだのか、躯へ視線を向ける。ポッドを出ても躯がかわらず自分を見つめていたことに今やっと気づいたらしい。彼がわずかに泳がせた視線から羞恥が見てとれた。躯と飛影は空のポッドの前でお互いに正面から向き合った。

 お互い無言だし身動きもない。正体の知れなかった躯と、ポッドを出た後も裸で対峙しつづけているなど、飛影にとって不自然極まりなかったが、その違和も躯の平然とした様子で霧消した。お互いに目を離さないでいる状態に飛影が陶然としたものを感じ始めた刹那、躯は初めて親しげな声音で「よう」と彼に呼びかけた。

 声帯は損傷していないが、ポッドの水の成分のためか、飛影はまだ思うように声を出せない。剣を交わした時雨はまだ治療中だった。時雨は目をつぶっている、と飛影は時雨を思い出し素早く時雨のポッドに目を走らせた。躯の臀部からS字型カーブの背中はちょうど時雨のポッドにある。飛影が躯に目を戻すと、そのごく短い隙に躯は姿を消していた。

 

……………

 飛影は、あらかじめ用意されていたらしいま白いタオルと支給された衣服を着実な手つきで身に着けたが、その実うわのそらで、飛影の中ではふたりはだかで立ち尽くしていた数秒の心地がまだ記憶として立ち去らずにいた。

 居室に戻るために回廊を歩くあいだも飛影は反芻した。

(あの沈黙がもう数秒続いたら)

(オレは躯に手を伸ばそうとしたはずだ)

(俺が手を伸ばしても躯は受け止めたはず)

確信はあった。でもしなかった。お互いの意識をすりあわせた膚ざわりがあまりにもよかったせいだ。

 衣服を身に着け衣服がこすれる感触、ベルトの固さに触発されて飛影はやっと夢から覚め、なまなましい自分の肉体と風変りに肉感的な躯の肉を思い出した。

 今更ながら、躯を絞め殺すほど抱きたい。飛影は百足の回廊で突如猛った。躯の居室をやみくもに捜し歩く。しかし百足の構造は複雑怪奇で、また、躯の居室を知るのは直属戦士の上位の者のみである。飛影はまだ躯の居室を知る資格がなかった。飛影は自室に戻り苦しげに身を捩じらせた。

 

 躯も自身の最奥の居室に帰り、寝台に腰掛け、飛影が衣服を身に着けながら思っていたことを寸部違わず思っていた。互いの裸身がごく自然だったからだろうか。躯は飛影との間に男女の親しみの萌芽が見えたのを認めつつも、微塵のはにかみもなかった心地よい対峙の時間を重視していた。

(兄弟、というものはあんな感じなのかもしれない。)

躯は連想を気に入った。

(俺と飛影のばあい、姉と弟か。ずいぶんと世代の異なる……)

(あいつの部屋に寄り、してもよかった。)

 それでも躯はもう一度あのとき、ふたりの間になんの邪心もなかった空気を大事に思い起こした。性急な性交よりもあの邂逅の名残を尊重した。

 

躯。

なきがらを意味する名前に反して自身に血が巡り始めるのがわかる。躯は寝台で灰色の毛布にくるまりくつくつと笑った。

 

飛影。

忌み子として生き、快楽につながる記憶をほぼ持たず、ただ氷泪石と双子の妹を探し続けた男。双子の氷泪石は、飛影の膻中で泣きぬれたように極上の真珠の放つ光沢を見せていた。あいつは今頃それに見入っているだろうか。幼き日、木の上で時間を忘れ、あどけない目で亡母の涙の結晶を眺めていたように。

 

…………… 

 遠くから哉無の気配がしたので躯は飛影とのことを頭から取り除き、まさに軍隊の如き素早さで毛布をたたみ居住まいを尊大なものに取替える。哉無は儀礼を簡略化して入室するが顔を合わせる前に多少の間があく。それでも長く仕えている宦官には今日の躯の顔の無防備がすぐに目についた。酒に酔っているのでもなく、茶を喫しているときの寛ぎでも見せない力の抜けた躯の顔を出し抜けに目にした哉無は一瞬伺うべき言葉を忘れた。頭領のいつにない様子に哉無はめずらしく狼狽した。

 哉無は用向きを忘れ不覚を取った自分に忸怩たるものを感じたが、少々ぶしつけな視線を送っても躯が何も咎めない今、頭領躯に何があったのかを探るため、もう一度その顔を仔細に詮索した。そこには哉無が躯と出会ったころの躯の面影が透けていた。哉無にとってひそかになつかしく、生涯こころにとどめるであろう面影。

 哉無と躯がただの宦官と厄障者だった頃、ふとした拍子に邸の軒先で雨宿りを共にしたことがある。五月雨はやむ気配がなく、哉無はめずらしく邸に詰めている躯と並んでいた。ふだん、ふたりは共にいるところを人に見せないように細心の注意を払っていた。だから哉無と躯が情報交換や取引の駆け引きは、後宮の廊下に気配がいないのを確かめた上でのすれ違いざまに行われる。この頃からこの宦官と邸の用心棒は共謀めいたことをたくらんでいたので、なおのこと一緒にいる姿を周囲に印象付けたくなかった。それなのに哉無は雨を見る目をわずかに右隣に向けた。躯の横顔の細い咢を一度だけ盗み見ることができた。軒先の下で欠損した美少年ふたりが庭で家事に励む下働きの女たちの眼福となっていること、それが邸人の耳に入った場合の支障など、ふだん怜悧な哉無はもう意に介さなかった。哉無は雨に濡れた皐月に見入っている躯の傍らにいつまでも立っていたかった。宦官である少年は雨が止む時間がせめて延びることを祈った。哉無も躯も互いの仕事を忘れて無心に雨を見ていた。

 

…………… 

 そんな一刻もあった。

 哉無は過去の記憶を振り払い、喰えない宦官の顔つきを取り戻す。彼は時雨と飛影の勝負後の指示を伺いに来たのだ。 

「時雨と飛影の勝負、相打ちであったと」

 躯が目を閉じかすかに首を振り否定する。 

「いや、俺が見届けたところ、時雨が飛影に負けた。直属77番を飛影に。銅鑼をならせ」

 直属入れ替わりの周知を百足全体にしろとの命だ。

「伝えて回ります。ほかに付け加えるべきことは」

哉無の問いに躯は頭領の顔と声色で以下の令を発することを付け加えた。

「直属順位の上昇をこのたび77番に参入した飛影が望むならその機会をどしどし与えてゆくつもりだ。ほかの直属も同様。これから総力戦を念頭に置いた軍勢の試験期間に入る」

「かしこまりました」

 恭しくこうべを垂れる哉無に躯は

「もう、行け」

と居室から引き取らせた。躯は哉無に向けて軽くはらった手で、そのまま自身のざんばら髪をかきあげた。銅と金の合間の色の毛髪が、損なわれていない指にからまる。無造作の仕草に、躯がたしかになまめいているのを哉無は素早く見て取り、その居室を退室した。

 哉無は銅鑼を先頭のものに打ち鳴らさせ、百足の回廊を歩きながら思う。遠い昔に帰った気がした頭領のあのお顔は。飛影か。おそらく。いや、確実にそうだろう。

「直属順位の上昇の機会をどしどし与える」

という躯の指示は軍の士気を挙げるのに素晴らしく功を奏した。直属の順位が上がれば自然頭領躯との接触も増える。闘いの前線に優先して配置される名誉とともに。

 おそらく最後の三竦みの闘いを前にして、躯軍の百足の中が換気よく廻りだした。新参飛影が換気扇のごとく直属の順序入れ代わりを活性化した。飛影は淡々と目前の直属と闘い、危ない際もあったにしろ、おおむね順調に、地道に勝ちを挙げた。直属順位の上昇で、一番の躍進をみせたのが飛影であった。半年を経ずに、飛影は不動の筆頭戦士であった魔道本家奇淋を退けた。

 幽助、蔵馬が絡んだ三竦みの闘いが再び浮上する頃には、飛影は躯軍の筆頭戦士としてその立場を定着させていた。