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躯は煙鬼の屋敷の応接間で地図を広げ、彼に乞われて北東から北にかけての地勢変化の説明をしていた。さっきから孤光があからさまに不機嫌なまなざしで躯を眺めている。孤光は煙鬼が魔界統治のための要人として躯を重用し、よく自宅に招くようになってから彼女を気に入らない女だと思っている。

別に躯が孤光に何をしたわけでもない。話も最小限に挨拶を交わすくらいだ。だがそんな理不尽ないらだちを孤光が募らせるようになったのは煙鬼が躯をときおり娘をいつくしむような目で見ているのに気づいたからだ。

(百足であんなに走り回ってる女、呼び寄せてわざわざ話を聞くなんて。)

煙鬼のそばの寝椅子でふとももまで投げ出し、うつむいた躯の睫毛の長さを見ていた孤光は

「男には絶大な威力、女には無力。・・・そんな感じよ、こいつって。」小さくつぶやく。

孤光の目がますます意地悪く光る。なんかいじめたくなるわ、この女。そう思ったのだ。

いっぽうの躯も、応接間に入ったときから孤光の存在感で頭が締め付けられていた。

躯はなにがあっても自分の不調で物事を切り上げることはしない質だ。躯はこういったとき、話が早く切り上げられる方にコントロールするほうに力を使う。

「では北5層の食物流通の滞りについては、一月調べさせてから報告する。失礼する」

なんだか女の手前、いつもの躯の流儀らしくない。

「おう。・・・飯は食っていかんのかい、躯」

呼び止める煙鬼に躯は答えずに応接の間を出た。

 躯が出ていくようすを見送ってから、煙鬼は不穏な空気をぴりぴりと出しているかたわらの妻に尋ねる。

「どうした。おっかないぞ。なんぞ気に入らないことでもあったのか」

「気に入らないわよ、あの女」

はて、といきなりの妻の難詰に煙鬼はとまどう。

「おんな」

「なによ、鼻の下伸ばしちゃって」

「わしか?」

「そうよ」

どすん、と夫をどついて孤光はかみついた。

「わざわざなんで移動してばっかでかんたんに捕まんないあの女を呼び立てるわけ、わっかんないわよ。あいつ全然治世なんかに興味ないじゃない。」

ぎょろぎょろした眼をさらに丸くして夫は妻をみた。

「孤光、それはワシに妬いてくれてるということか」

孤光の理屈の通ってない詰問をさえぎって煙鬼は問い返す。うれしそうな夫の笑顔がぬっと孤光のそばまで寄ってきて、ちゅっと彼女の鋭くつり上がったまなじりにキスをした。

「・・・なによ。そんなことでごまかされないわよ」

気勢をそがれた妻は夫をねめつける。

「うーん。躯はなんだか娘みたいでな。つい昼飯を食っていくもんじゃと。躯の食う分くらい用意はあるだろ?」

「むすめぇ?」

またきゅっと孤光の目がつり上がった。

「娘みたいでかわいいからって呼び立ててんの。あいつだって私らとそう変わんないはずだよ、それをあんな年増女にかわいいって!息子たちがいるくせに、あんたもうすっかりもうろくしちゃったのね、このバカ!」

べしべしと煙鬼の胸板をひっぱたく。

煙鬼はにこにこして

「お前さんがワシの女よ、もうろくしてもそればっかりはゆずれないなあ。ワシがずっとお前さんにしか惚れてないのは、しつこいってお前さんがいつも怒るくらい、わかりきってることじゃないか。もしお前さんに若い男ができたらワシは黙って奪い返す。でも」

うれしいなあ、お前さんのヤキモチなんて、後生大事にしよう。そういってもう一度キスをする。

「なに訳の分からないこと言ってんのよ。・・・ご飯冷めちゃうじゃない。ほら、行くわよ」

孤光はどっしりした妻の顔に戻って煙鬼の愛撫をすげなく返し、台所に行こうとする。

それをつかまえて煙鬼はもそもそとする。

「なあ、コウちゃん。・・・ひさしぶりに、どうだ」

「昼からバカ言ってんじゃないわよ」

私はおなかすいてんのよ、そういいながらぷりぷりとお尻を振って歩く妻に夫は断られてしょんぼりした顔でついて歩く。これはこれで甘い夫婦の風景だった。