解散した後も挙動の変わらない躯の、軍に対しての思いがどのようなものであるのか。
かのじょの考えについて、推測できるとすればはこんな事態のときには直属でも哉無だけだ。
哉無じしんも一見気安く飄々としているが、その実気味が悪いほどほどゆるがない外面を崩さない。この平然が、中央の大人に務めあげた成果なのか、哉無個人の気質なのかはわからないところである。
躯は彼の部屋で香を聴き、茶を飲むのをしばらく夕方の日課にしている。自分の部屋ではそんなことをしないくせに案外な趣味を哉無のところで発揮している。
「奇淋が出ていったぜ」
調理人が暇をとったぜ。と同じような口調で躯が座椅子に腰かけながら哉無に告げる。
「おもしろい奴だ。わざわざ宣戦布告をして抜けていった。俺の秩序を、一度でも壊しにきたいそうだ。俺じしんに秩序なんかなかったはずだが。なあ」
哉無が給仕した茶を口にする。苦い味が躯の顔を幾分やわらげる。
「いきなり解散されたことを怒っているんでしょう。あたしだって当惑してますよ。あたしの大口の仕事がこれで今日ひとつ流れたんですよ。おかげで当分の喰いぶちが不安なわけですが、頭領は本当に無頓着だから。まあ、とくに、あの子どもといたときというのが、気に入らないんでしょう。奇淋には。躯様は我々の秩序をあっさり崩したんですからね。怒りももっともでしょう」
躯はしらけた顔つきで奇淋の台詞を真似する。
「俺の秩序ねえ」
奇淋の怒り。つまるところ男の嫉妬心の発露じゃないか。
繻子の座椅子に膝を立てて片目を閉じながらあのときの奇淋の気配を反芻する。
笑ってしまった。
あいつは、俺が一人で凝固しているための見守り役だった。
躯は思った。そういえばそんな関係だった。飛影がきたことでわかった。
「今日の香は紅か。華やかすぎやしねえか。どうも」
「たまにはいいのではないですか。」
哉無も笑う。
「いつもあなたの渋好みにつきあって差し上げるよりも、たまに趣向を変えた方がめりはりでしょう。みずみずしい女人の味を思い出させる匂いだ。1000年前に手に入れた香木ですよ。今日は貴重品を出してみました。ひとつ記念日ですからね」
「記念日ってなんのだ。あ、解散のか。こんな匂いをたきこめてた上等なのなんて、いつの時代の高貴な女人の話だ。今はもっと異物にまみれた匂いで食欲もうせるぜ。昔の人間は、もっとうまかったからなあ」
「また食人のうんちくが。昔の、しなびた老人の味がいちばん体に合っているんでしょう?通好みで、探すのにも一苦労だ。」
躯は哉無にとりあわず
「人間の味も変わったということからも、変わり目なんだよ。雷禅の息子、ユウスケ、海のものか山のものかもわからねえが、変なのがやってきた。かわりどきだ。いつまでも同じである方が不自然だ。なあ、哉無。どう転ぶかなんて考えず、しばらくすっきり遊んでみようじゃねえか」
という言葉のわりにしばらくするとむすりと黙り込んだ躯である。
哉無も彼女の沈黙をやぶることはしない。部下として頭領の沈黙の時間を守る。半刻もすると躯は腰をあげ、出ていった。
深く頭を垂れながら送る哉無は頭をあげしなに躯の腰つきをみた。
(昔はゆらゆらと、さだまらない腰をしていて)
哉無は時をまさぐるような遠い目をした。
お前はどうしてここにいる、と奇淋に問われたときの本音を内心で吐露する。
(あたしは、そうね。躯様がどうやってこの生を全うされるのか見たくてお側についている。見届けること、これがあたしのいきる目的。傍観者であること)
奇淋もなかなか忍耐強いが、残念ながら、躯様を眺め切るだけの魔がない、と哉無は思う。
奇淋は新しい風に堪え切れず、逃げたのだ。
めずらしく奇淋が不用意なことを口にしているとあのとき哉無は思った。
これほど本音で話を続けたことなど数えるほどしかなかったのではないか。
(あたしも動揺した奇淋につられている)
どうした、やはり変化の時流にあたしも巻き込まれるのか。