要塞の外ふたり

都市部に近かったので哉無は帰り道をあえて歩いていた。商売専門の哉無は商談先で躯軍にまつわる速報を聞いた。まったく笑い話だった。自然災害のようなものだよ。哉無は先方に笑って取りなしたが、微妙な話し合いがうやむやになってしまった。こんな憂さは歩いて晴らさないとたまらない。あたしのいないときにあんな決定をするとは憎らしい。哉無は表情をくずさないが、憤懣やるかたない己を鎮めるためにひたすら歩を運ぶ。

 

躯様に本気で事業をじゃまされた文句などあたしが垂れようはずもないが。要塞に戻って、今日もかわらずあたしは頭領に茶を差し上げるだろう。

だが、このまま帰ったのでは あの時間の、あたしのあのかたにたいするいたぶりが度をすぎてしまう。躯様とあたしの均衡が崩れる。要塞に戻る前にこの感情の乱れを処理しなければ。哉無は頭領との貴重な夕刻のひと時をどのよう仕えるか、今日のかのじょの所望しそうな茶と香の組み合わせを考え始める。その一点に思考を集中させることで、自身の感情に翻弄されぬよう、気を引き締めていた。

 

確かに哉無は今朝の不意打ちの速報に長年仕えてきた躯に裏切られたような腹立たしさ、そのときそばにいたという飛影に不快を感じている。

が、じつのところ哉無はそれ以上に、本日も変わらず自分の居室に茶を所望に訪れるであろう躯が、自分の前で、どのようなたたずまいで茶を喫するのかが見たいのだ。

そんなわけで哉無はあえて自分から頭領の居室に参じないことに決めている。

 

(頭領は平生と変わらぬ顔であたしの居室にやってくるだろう)

 

かのじょの訪れる夕刻を待とう。盗聴虫の情報を確認していた奇淋とは違い、哉無はあのときの詳細を知らない。今朝、黄泉の屋敷の偵察でどのようなタイミングが訪れ、我が頭領が突如解散の宣言を口にする判断を下したのか。直接事実をうかがうことはできなくても、かのじょのたたずまいからだいたいの事情を察することはできる。その自負が哉無にはある。

 

移動要塞百足の停留地帯にいよいよ近づくと、強い東風が吹いた。砂埃がたち、哉無は忌々しく目をつむる。入った塵を排出するために出てきた涕で視界がにじんだ先に、百足から出てきた男がみえた。ああ、頭領の唐突な宣言の話をするに格好の相手だ、奇淋が歩いている。

「奇淋」

哉無は呼びかける。奇淋が哉無に目を留め、気を呼応させた即座、哉無はかれのただごとでないようすを察知した。なにかあったか、と問うのではなく、世間話をしかけてみる。

「さてもどうしたものかね」

奇淋は無言である。

「躯様の解散の言葉にははお互いに。取引先で速報として耳にしたが、また躯様の無軌道が出た。あたしの仕事は信用第一なんだから、あんなこと、言わないでほしかったんだけれどねえ。これで大口の食い扶持が流れたよ。嘆かわしい。」

「俺はここを出ていくことにした」

「ほお。トーナメントまで集中特訓でもするのかえ」

「いや。俺は躯様を倒す。躯様に伝えた」

さすがに驚いて哉無は笑ってしまう。

「はあ。正気を失ったか奇淋。あたしはここに残るがね」

「まえから聞きたかった。お前は、なんでここにいるんだ」

奇淋は意外な問いかけをする。ここ数百年、躯軍を存続させるために尽力してきた直属ふたりではあった。しかし、今回のような不意打ちの事象で互いの心情を吐露する間柄ではなかったはずである。

「強くもなろうとしないのにって?目的がなくちゃ生きていけないかねえ。あたしはトーナメントも出ないよ。かわらず、躯様のお接待をするさ」

「それにしては」

奇淋はいちど言葉をとぎらす。めずらしい、まだ話を続けるか。哉無は奇淋を見守る。奇淋は相対する哉無に視線を投げかけず独り言のようにつぶやいた。

「躯様をいたぶる」

哉無ははなじろんで投げ返す。

「あれはさ、猫があんまり可愛らしくて憎い。あんなむき出しのなりしてるから、強烈に目を奪う。あたしはそのクチさ。」

去りかける奇淋というものにはあたしはなんの感慨も覚えない。そう思うが、哉無も言葉を重ねる。

「あの方に見入るのは、そいつら自身も十分におかしいんじゃないかねえ。今更あの方に反旗をひるがえすなんておかしな真似をするのもね。解散したとはいえ。ほかの直属は訳が分からないだろうから。さて。」

哉無は背を向ける。

「めずらしく話しすぎたねお互いに。幸運を祈っているよ」

奇淋は無言で停留地帯を去った。

長年躯の重役を務めていた二人は外と中へ背を向けて離れてゆく。