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無粋な女だ。飛影は躯の居室にやってきて、昨晩のやりとりを思い出す。ずかずか入ってきた。あのとき、俺の意識に。仕事上のような、回復の合間に。意識と記憶の交換。それだけのことだと思っていたが、しだいにオレの中で躯のなにかが繁殖しているような湿った感情が頭をもたげていた。あいつは、ずるい。勝手に入り込んで、ずかずかと、オレの一部をコントロール不能にさせた。ほんとうに、無粋な女だ。

でも、いまずかずか入ってるのはオレか。飛影はぶすっとした顔をして女を見下ろす。焦点の合わない、死んだような(でもじつは機能している)ただれた目で見られている。片方の目は閉じているから寝ているのか。起きてはいないような気配だ。あいているほうの片目をみていると、なにか化かされたような気になる。その居心地のわるさにもう一度こいつの顔に目をこらし、もう半分の女の顔に見入ってしまう。このからくりで、オレはこいつから目を離せないでいる。

今日の躯の寝顔は顔から余計な力が抜けていて、飛影をして「かわいい」と、つぶやきはさせないが、思わせる。甘い気分になる。こんなふうにいつも安心した顔で眠っていれば、いいのにな、こいつも。こんなに強くて不気味な奴にオレがこんなこと思うのもへんだが、たまに「不憫だな」と思ってしまう。何でもないときに、そんな言葉が出てきて、オレの心臓辺りに痛覚をもたらす。

こいつは不眠気味で眠るとき、眉をしかめていることが多い。眉間のしわ、いつも指で広げてやりたくなるが、そんなことを思いつく自分が気恥ずかしく、飛影はまだしてやったことがない。やっぱり眠っているときに眉間さわられたら、危機を感じて戦闘態勢に入るだろう。それがオレたちだろう。

それでも、さわってやりたいかもしれない。

痴皇を贈ってやってから、躯は柔らかくなった。雰囲気が変わったというんだろうか。前より気楽な言動が増え、ひょうきんな奴だったのか、三竦みの躯というのは、とパトロール隊から躯と働くやつらなんかは噂している。哉無は「いや、躯様は前からああだ。目はほんとうにやさしくなってしまわれたけどな」という。時雨は、驚いていた。「この前躯様がなにか踊りながらゆらゆら歩いてらしてて、歌をくちずさんでいた、あっけにとられて固まってたら、ぱっと立ち止まられてな。時雨、お前も、歌え。いつもそんな風にかっこつけてるだけじゃつまんねえよ、と仰られた…。ワシはしょうがないから詩吟で応じてみた。ほめていただいたが、はたして本当にお気に召しただろうか」と時雨らしく自分の応対の良しあしに気を病んでいた。そんなふうにおどけながら百足の中を歩き、新参なんかは躯を気安い奴だともう思い込んでいる。とはいえパトロール隊のパワーバランスが崩れそうになると威厳を発揮してばっさりと問題の交通整理にかかるから、みくびってはいけない。おどけているのも、この流動的なパトロール隊の均衡を維持するためにやっていることかもしれないし。こいつは、嘘を意外とつく。嘘だとわかっていないところが、本当の嘘つきの証拠だ。オレのつく嘘とは違う。…痴皇を贈ったことは、良いことだったんだろうか。ふと飛影の頭にそんな疑問が去来する。

まあいい。それはこいつが処理するしかない問題だ。今は、オレがこいつをかわいがる。無粋な女。湿った欲望をオレに持たせて振り回す。飛影は「一人で眠るな」と声をかけて躯の隣にもぐりこんだ。