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意識を見せたのは分かちあいたいからだった。

俺の意識も晒して、あの忌み子の意識にふれたかった。

恋情は忘れていた。そういう感情を生じる生物ではなくなったと思っていた。長い時間をかけて、のし上がり、いつしか頭領になることで自分を変形させてきた。

酸をかぶったのが初めて自分が望んだ変化なら、俺はこれまで何度かそういう変化を繰り返してきたように思う。

雷禅への闘争心を政治的敵対に変えたとき、軍を引き連れる面倒を引き受けたこと。妖力値を悟られないように、自分の性と姿を悟られないように妖術符をつけることにしたとき。

そういうようにして世界を変えて変えてやってきたのに、反転してしまった。飛影が俺を。それと同じ頃に雷禅の息子をはじめとするあのものたちが、1000年変わらなかった空気を変えた。そうか、前に変革を起こしたのは俺たちの世代だったのだ。

後世おそるべし。彼女はどさりと台座に体をあずけた。腹のうえで手を組み、目をつむる。すべすべした左側の肌が若い女のままでいることを何気なく確認する。痴皇「お父様」は完璧な幼女好みでもなかったかわりに中年の娘も望んでいなかったようだ。躯は自分の加齢の過程を予測することができない。見た目がある時点から変化しない種族がたくさんいるから自分もそのような造りなのかもしれない。が、もしそうであればどこまでも自分の内面とそぐわないからだを持ってしまったことだ、と躯はため息をつく。見た目と中身のアンバランス。はやく古びてしまいたい。

さて、そんなこと、今はどうでもよい。自分はこれからどうしたものかと思う。戦いには飽いた。百足を使って広範にパトロールしているこのデータをもとに地勢学を残しておこうかと思う。

魔界と人間界の均衡が崩れたことで各所に変化が起きている。その仕事に区切りをつけた後は、もっと魔界の深層に隠遁して、終わりの時間を待とうかと思う。深層に行けば、もっと得体の知れないものがいて、俺を食うかもしれないし、なによりも俺はそろそろ戦いから離れたい。

今の魔界の秩序が、再びそれなりに整うころ、そのころはさすがに俺も寿命が近づいているだろう。守るものが侵されそうになれば戦うだろうが、もうそれ以外の戦いに力を出すことにたいし、興味は失われた。

多少厭世的になっているかもしれない。

喧嘩は、楽しいかもしれない。

あと少し加速をあげてユウスケが強くなったらあいつと全力でたたかうのも楽しいだろう。

昔みたいに。

雷禅。お前は今、どこにいて、なにしてる?

乞うた人間には念願かなって、再会しているだろうか。

お前のふてぶてしい横顔を思い出してみた。

若くて横暴で誰の心もつかんで振り回す傍若無人。

夏の砂漠地帯で喧嘩混じりに戦ったときの地のにおいと砂埃、風のにおい。昔のお前を思い出すとき、乾燥した暑い空気がいつもセットだ。

なにもかも力づくだったお前が、一人の女と一晩過ごしただけで変わった。

バカめ、雷禅。

俺は俺が死ぬまでお前を認めてやらないよ。

ユウスケの強さと求心力は、お前と似ているようで、きっちりとお前と違う。俺はそのことに安堵している。

時代が要請するものが変わったことに喜びを感じる。俺たちの時代は終わったのだ。

お前が死んでくれてから、魔界勢力に台頭する前の、お前と俺の純粋な反りのあわなさ、お前にじりじりとしていたころをよく思い出す。

まどろんでいるときにそんなことを考えていた。飛影はいつのまにか俺の隣で俺を見ていた。さすがに滑り込むのがうまくなった。こいつの気安さ、勝手知ったる振る舞いは俺にとって心地よい。こういう関係が自分にもたらされるのは初めてだ。

この男は優しい。そして芯に途方もない強さがある。俺にはないものだ。雷禅、お前のからっとした日光を背負った強さとは違う。明るくはない。でも、濡れた夜にたたずむことを許してくれるような、暗いものも飲み込む、しぶとい、強さだ。飛影に親しみをもってみられること。これが俺の怒りを溶かす。ああ、かなわないと初めて思った。

ただ、額つきあわせてまどろんでるときでさえ、俺は自分のすでに壊れてしまっている部分をこいつの強さに照らしあわせて、ため息をつく。

飛影。ごめんな。あの記憶を解除しても、あいつの本当を知っても、俺が作ってきた「お父様」なんだ。憎い、男なんだ。あいつとやってきた、屈辱と罪悪感と憎悪と裏腹の快楽とか、すべて体にしみこませてしまった時代で壊れた土台はもう戻らないんだよ。

飛影は今のところ、俺のそんな諦念に気づかないで俺の体と交流に専念している

こいつは俺に惹かれているのに気づかないようにすることに必死だ。あるいはそんな表情が俺への媚態か?

お前は自分の女にたいする恋情に自覚的だったぶん成熟した男で、恋情以外の世間ごとを切り離すこと、すでに作ってしまった国の存続を両立させるため、男特有の「気づかない努力」を駆使していたな。そして息子に力を授けて、女に逢いに行った。

俺は昔、おとなしくなったお前に憎悪を向けるしか表現を持たなかった。

政治とか野心なんて俺たちの対立にあったわけあるか。

腹を空かせる餓鬼の境地からはもうとき放たれたことだろう。

お前の腹の音が聞こえなくなってから、俺も新しい段階に入った。

余生を考えているのか、妖怪として足を踏み入れなかった、この生の次の流れについていろいろ考えるようになっただけのことなのかはよくわからない。

ただ、俺はもともとは戦闘を好む種族ではないからなあ。愛玩用にいろいろ加えられてできた成り立ちだからそれほど殺戮や命に執着があるとも思えない。それでも生きながらえてしまった。怒りのおかげで。遺伝子の出自が定まってないってことは、最初から半分死んでるようなもんだ。

不安定だ、不安定が俺の強さだと自負していたが。

お前のいる彼岸に行ってみたいと思う。俺も彼岸の川辺で憩うんだ、とお前に訴えてみたい気がする。お前が生きてる時分はムカついて思いもしなかったが、死んだ今、こんなふうに戯れて思うことは安全なお遊びだ。居なくなった奴には嘘を言えなくなるもんだ。

お前とあいま見えなくなってすでに笑っちゃうくらいになるが、お前が生きてる間でさえ、頭んなかでお前にたいし気弱な繰り言を向けるときがあるのがくやしかったよ。

と、そのとき飛影がおれに潜り込んだ。

「ひとりで眠るな」と聞こえる。そんなものか?

なんてかわいい男なんだろう。わたしが完璧に寝入っていると思いこむうかつさ。妖怪にもこんな情緒があるくせに、殺し合う欲求も本能だ。今は過渡期。生き残ってる古びたわたしは、どこへ行こうかな。

口調が、少女のなりをしていた自分のものになっていることに気づく。

時を経て出会った新しい時代の少年。こいつとこいつの仲間によって解放された自分のしがらみを自覚している。

雷禅。わたしは好きな男は殺したくなる。

だからいつでも殺せるように俺を恋する男の後ろっ首をつかんでおいてやると決めた。

まどろみからさめてぼんやりとした頭で飛影の眠り姿を眺めた。

俺はまだ此岸にとどめられるんだろうか。

この男も好きな女を求めて静かに狂うときがくるんだろうか。いつかのおまえのように。